「地域創生専門部会」

部会長 :  長崎県立大学経営医学部 教授 矢野生子

副部会長: 久留米大学 名誉教授 大矢野栄次

副部会長: 佐賀市富士公民館 館長、元佐賀市経済部長 池田 剛

◆「佐賀空港周辺部の経済・社会の在り方についての研究」◆

・現地の状況調査、将来構想の研究

               ・地域創生と国際化の両立を模索する研究

 

 ■地域創生専門部会 2025年度 ご案内

2026/02/12

欠史八代

■『欠史八代と崇神天皇・垂仁天皇』大矢野栄次著

欠史八代とは、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇を指す。 崇神天皇は第10代・垂仁天皇は第11代である。
 戦後、『古事記』や『日本書紀』にその系譜が記されている初期天皇の系譜は、その多くが後世の創作によるものとする説が提唱され、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的にはほぼないとされている。一方、近年の考古学的発見により非実在性について疑問を投げかける学者も存在する。
その理由の半分は、神武天皇と同様に、御国天皇(はつくにしらすすめらみこと)という名が送られることにあり、半分は考古学的発見の少なさとの関係である。
しかし、九州王朝論で紐解くと解決できるというのが、本書の提案である。

2026/03/09

佐賀の歴史Ⅳ

 

■『九州王朝論と神武天皇東征の真実-佐賀の歴史Ⅳ-』 ※近日中発刊予定

紀元前660年を神武東征とすることによって、日本の古代史において「空白の150年の問題」が発生する。しかし、徐福の時代、邪馬台国の時代、そして、神武天皇東征の時代という歴史的な事件の順序を確定することができるならば、「空白の150年問題」は解決するのである。
そして、そこには古田武彦氏の「九州王朝論」の基礎が浮かび上がるのである。しかも、その舞台の中心は、久留米市、うきは市などの筑紫国、そして、佐賀市を中心とした肥前国の歴史のパノラマが説明できるのである。
その成果として、「邪馬台国はうきは市の姫春を中心とした地域であること」、「邪馬台国卑弥呼の古墳の在処は久留米市祇園山古墳であること」、そして、神武天皇の橿原宮は小郡市の花立山(城山)の南側にあり、花立山の北側にある筑前町の「焼の峠古墳」が神武天皇陵であることが説明されるのである。

 

※刊行冊子は事務局在庫分を進呈いたします(会員=送料無料、会員外=送料有)

   事務局へメールかFAXでおたずねください。

【低平地研究会事務局】
Eメール:lora@@lora-saga.jp (@を一つ削除してください)
FAX:0952-28-8712
(〒840-8502 佐賀市本庄町1番地 佐賀大学理工学部内)

 ■地域創生専門部会 2024年度 ご案内

2025/02/12

佐賀の歴史・近現代史編

■佐賀の歴史・近現代史編-Sagan HistoryⅢ-
(久留米大学名誉教授 大矢野栄次・長崎県立大学教授 矢野生子 共著) 

2024/12/01

仁徳天皇と倭の五王

■仁徳天皇と倭の五王-賛珍斉興武とは誰か-
(久留米大学名誉教授 大矢野栄次)
本書の目的は、『日本書紀』に登場する歴代天皇と「倭の五王」との関係について考察することである。すなわち、倭の五王、「讃・珍・済・興・武」とは誰かという課題である。

 

 

 

 ■地域創生専門部会 2023年度 ご案内

2024/02/01 ■「西九州新幹線議論の経過と今後Ⅱ―九州の地方創生とJR九州の再生」
(久留米大学名誉教授 大矢野栄次・長崎県立大学教授 矢野生子)
西九州新幹線の建設についてのこれまでの議論の経過と今後の在り方について考察しました。

2023/10/30

佐賀の歴史・古代史編

■「佐賀の歴史・中世史編 -Sagan History Ⅱ」
(久留米大学名誉教授 大矢野栄次・長崎県立大学教授 矢野生子 共著) 

 本書は、「佐賀の歴史 第二部―佐賀の中世史編」である。
平安時代末から鎌倉時代・室町時代・戦国時代において、この肥前の地における豪族達の栄枯盛衰の物語とその裏でもたらされた肥前陶磁器の歴史がある。文永の役と弘安の役の二つの元寇や豊臣秀吉の文禄慶長の役、そして、天草の乱や潜伏キリシタンという日本の中世の対外関係史と国内の肥前陶磁の生産とが歴史的な要因に深く関わりあっていることはあまり知られていない。


 

 

 ■地域創生専門部会 2022年度 ご案内

2023/04/01

■「西九州新幹線議論の経過と今後―JR九州と九州の地方創生」
(久留米大学名誉教授 大矢野栄次・長崎県立大学教授 矢野生子)
西九州新幹線の建設についてのこれまでの議論の経過と今後の在り方について考察しました。

2022/12/15

佐賀の歴史・古代史編

■「佐賀の歴史・古代史編 -Sagan History Ⅰ」
  (久留米大学名誉教授 大矢野栄次・長崎県立大学教授 矢野生子 共著) 

 今日の古代史の常識では、神武天皇の即位が紀元前660年2月11日(建国記念日)、その400年後(紀元前3世紀頃)頃に徐福が秦国から来日。そして、紀元3世紀半ば頃が邪馬台国の卑弥呼の時代である。
 しかし、『古事記』や『日本書紀』に徐福も卑弥呼も登場しない。これが、両書を日本の歴史書として認めない原因の1つでもある。
 しかし、古田武彦氏の説明するように当時の歳の計算は「二倍暦」であり、1年に2歳と考えると歴史の順序は大きく入れ替わるのである。
すなわち、徐福来日⇒邪馬台国の卑弥呼登場⇒神武天皇の日本国建国の順になるのである。
「徐福は戻ってはこなかった。東方に広い広大な平野と湿地を得て王になった」という。この「広い平野と湿地帯」こそが、佐賀平野でありその中心が吉野ヶ里遺跡であるだろう。
また、『魏志倭人伝』が描く邪馬台国の卑弥呼のいる場所が大筑紫平野であり有明海の豊かさである。
そして、神武天皇の所在地が古田武彦氏の説のように糸島と早良区の間にある高祖山(たかすやま)と日向峠周辺であり、彼が育てられた地域が富士町であることが説明されると日本の古代史観が大きく変わるのである。
本書は、背振の山々の中に点在する神社仏閣と有明海の豊かさを象徴する物語や祭りの中に日本の古代史の原点があることを説明している。  

 

 

 ■地域創生専門部会 2021年度 ご案内

2021/10/11

 

■「乳母神社と産宮神社-佐賀市富士町・唐津市七山の古代史考察」

乳母(めのと)神社は、佐賀県佐賀市富士町大字下無津呂400番地にある。祀神は大海祇神(おおわたつみのかみ)と玉依姫命である。山幸彦と玉依姫命の子日本磐余彦(かむやまといわれびこ)天皇(神武天皇)の乳母を祀った墓所を乳母神社として祀ったお宮である。傍には神水川(しおいがわ)が流れている。かつては飛鳥川と呼ばれていたらしい。

2021/09/10

「継体天皇・安閑天皇・宣化天皇・欽明天皇・敏達天皇」

■「継体天皇・安閑天皇・宣化天皇・欽明天皇・敏達天皇」 ―倭の五王と蘖王朝の崩壊、そして、肥後王朝の進出―

継体天皇は肥後竹田市の南越の生まれてあり、彼の支配領域は、肥後、特に菊池から熊本にかけての有明海一帯である。以後、安閑天皇・宣化天皇が熊本から八代一帯を支配し、欽明天皇・敏達天皇らの時代に豊後への進出を果たしたことが説明されるのである。

2021/09/10

「用明天皇・推古天皇・聖徳太子」

■「用明天皇・推古天皇・聖徳太子」 ―阿蘇山の肥後・豊前・豊後の王朝―

肥後一帯から豊後・豊前の方に進出した勢力であることが説明される。特に大分市内の亀塚古墳は用明天皇の陵であり、傍に用明天皇を祀る萬弘寺という法隆寺伽藍が残る寺がある。この謎を解くヒントが臼杵の石仏群と真名野長者伝説である。この亀塚古墳の東側の幸崎(神崎)には、築山古墳という聖徳太子と推古天皇を祀る陵があることが説明される。また、両古墳の特徴は鳥葬であることが重要である。

 

 ■地域創生専門部会 2020年度 ご案内

2020/10/04

■「垂仁天皇・景行天皇・日本武尊から仲哀天皇・神功皇后の戦い―毛人・蝦夷の侵入とその統合の歴史―」

九州王朝論を背景として、この時代に全国に広がった交易ルートの結果として、東国の蝦夷達との交流の歴史が本格化したことが説明される。この議論もの背景には、「肥前風土記」からの示唆が重要である

2020/09/15

■「神武天皇と欠史八代」-有明海と玄海灘の物語り-」を刊行いたしました。

「神武東征は、宮崎県日向を出発、宇佐、岡垣、吉備、大阪難波を攻め、太陽に向かっ て戦うのはおかしいと、紀伊半島を南に降り熊野から奈良に出て、長髄彦と戦い、八十梟 等を滅ぼしたと説明する。しかし、この700km以上の遠征は兵站の問題等から不可能であ る。
 本当の日向は、福岡市の西日向(ひむか)であり、本当の宇佐は、古有明海の河口一帯で ある。久留米の櫛原とは、「フシハラ」であり、「フジワラ」である。宇佐の宇佐津彦 は、中臣氏(藤原氏)の先祖である。以上の議論を前提として神武東征の真実について議論 する。

 

 ■地域創生専門部会 2019年度 ご案内

2020/03/25

■「経済地理としての古代史‐『古事記』と『日本書紀』から学ぶ‐」を刊行いたしました。

『古事記』・『日本書紀』から学ぶ-」;『古事記』・『日本書紀』の中に有明海の描写がいたる所に登場することを説明している。

■ 「交易の海・有明海」を刊行いたしました。

徐福の時代から遣唐使船の時代、そして、古代のみならず、近世も現代においても、有明海の干満差をもたらす潮の満ち引きが交易の海としての有明海であったことを有明海のツインシティーズから説明できることを解説している。

2019/08/07

■「七夕神社と日本の古代史-玄界灘と有明海を結ぶ舟運の話-」を刊行いたしました。

かつて邪馬台国の卑弥呼の時代や神武天皇の時代、博多湾と古代有明海は鷺田川の大城から豊満川の津古、豊満川の古代有明海の河口であった大崎まで川で繋がっていたことを小郡市大崎の「七夕神社」の位置から説明している。

 

 ■地域創生専門部会 2018年度の活動

2019/03/21 「佐賀県人が知らない佐賀の人」を刊行いたしまし「佐賀県人が知らない佐賀の人」表紙た。